「雨が降っていた。雨の中、Aは傘も差さずに歩いていた」
私はこの文章から場面を想像しようとしたとき、雨は強かったのか、弱かったのか、Aは一体何を考えているのか、などということばかりを求めてしまう。そして自分勝手にAの内面を決め付けては自分に似てくるAを感じた。
Aは面倒臭がりなのかもしれない。Aは感傷に浸っているのかもしれない。私はそのどちらでも構わなかった。というよりAのことなどどうでも良かった。その文章の中で傘も差さずに雨の中を歩いていたのは私の中で私なのかもしれない。その時、私は私を見下ろしていた。
私は他人と会話するのは嫌いだが、自分との会話が好きだ。私のことは私だけが知っていればいい。私の脳に刻まれた映像を誰が想起できる? 無理だろう。私は私と常に対話している。私が私の中で客観化されているということはそういうことで、私が私について書くことは私が過去の私を可視化することであって、それにより私が連続性の事象であることが示された。
私は連続性というよりも多態性でそもそもあなたも私の一部だ。あなたは私の私でなかった可能性で、私の中の私的なあなたがいて、私の中のあなた、あなたでなかった私は別だが、どちらも私は私である。他人も私。他人は私の知らない私。私は自分の知らない私と会話をするのが、嫌だ。それはつまり無意識である。あなたは私の思考の範囲が及ばない。無意識、それは私の知らない私が確かに存在することである。
前述の「私は自分との会話が好きだ」は私の知っている私と私と言う意味である。最初の雨と傘の例もそう。
私は酒を飲んだ。それも卑しいほどに飲んだ。
黒いアスファルトの上を這うように歩きながら私は息を殺していた。